友好度の話

 

恋愛とか、友情とか、全部含めた「好き」について。

 

人から好かれている、ってどうしたらわかるんだろうか。

 

自分この人のこと好きだけど、この人は私のこと苦手なんだろうな、って思う時があって。ときどきそれが勘違いだったりする。

でも、私のこと苦手なのに苦手じゃないみたいな感じで振る舞っていてくれていて、なんて優しい人なんだろうとますますその人のことを好きになる。

でも、それは向こうにとっちゃ迷惑な話で。

だから極力近づかないで君を好きでいたいんです。好きでいてごめんなさい。

それが一番悲しい。

 

自分が好きな人にしか優しくしないでほしい。嫌いな人には無理して優しくしないでほしい。

 

 

会ったら話しかけていい人、ご飯に誘っていい人、遊びに誘っていい人、用もないけど「会いたい」って言っていい人、夜中に電話をかけていい人、ただの愚痴をこぼしてもいい人、一緒にいてもいい人、ダメな人。自分の弱みを見せてもいい人、絶対に見せたくない人、この人の前では強くありたいと思う人。

 

友達の段階にもいろいろあって、でも線引きはうまくできなくて。

向こうも同じくらい自分のことを好きでいてくれないと、ただのストレスになってしまうから、難しい。

そこまで好きじゃない人の愚痴を聞くなんてただの時間の無駄遣いでしかないし。

 

 

人から相談された人は、自分のことを信頼してくれて、この人になら相談してもいい、っていう風に認定されたわけで、

人から相談に乗ってもらった人は、そんな優しいひとから愛されているという確認を得たわけで。

その時点で、もう悩んでいるなんて贅沢な話だ。

 

たかが「ご飯に誘う」という行為だって、よくよく考えたら小さな告白のようなもので。

美味しいものは、好きな人と食べたいに決まってる。時間とお金と食事の価値を全部その人が決めてしまう。

 

 

ゲームみたいに友好度が全部数値化されてランクが分けられていればいいのに。と思った、ハートが青色から赤色に変わっていくのが見れればいいのに。

 

そしたら、「好き」という言葉はもう意味を為さなくなるんだろうな。

 

人間、もっとわかりやすくていいのになぁ。

 

 

 

今日は無音。

 

 

 

 

 

 

焦りとか。

高校生のとき、どんな大学生になろうか、なんて考えたことなかった。

まったくビジョンがなかった。だけど、ひたすら勉強していた。

 

第一志望の大学でさえオープンキャンパスに行かなかった。

ただ、模試の結果と偏差値と判定を照らし合わせて決めた。あと、一人暮らしできるかどうか。親の意見は聞かなかった。とりあえず上を目指してれば文句は言われないだろうとか思ってた。成績は最初は良かったけど、だんだん落ちて行った。当たり前だ。

そんなんだから、ちょっと大学生活が出遅れた。サークルも結局迷っていろいろ悩んで、これが正解なのかはわからない。今でも十分楽しいし、満足してるけど、もっと違う道もあって違う自分もいて、違った楽しみが待っているんじゃないかと思うときもある。

 

友達がどんどん免許を取っていく。

友達がマレーシアで家を建てた。友達が渋谷でフリーハグしていた。友達がヒッチハイクで秋田まで行っていた。国際フォーラム的なところで通訳していた。海外に留学した。オーストラリアでボランティアした。自転車でディズニーランドまで行った。

結婚した。

就職した。

 

どれも別にやりたいとか思わない。羨ましいとか思わない。けど、そういう報告を聞いて、なんだか出遅れた気がした。取り残された気がするのはなんでだろう。焦る。何に焦ってるかはわからない。だんだん大人になっていく。自分で決めて、自分で生きていいる。

 

ふと自分のtwitterとかを遡ってみたら、つぶやきのほとんどが「〜したい」で終わってた。自分から本当に実行できやしないくせに。あわよくば誰かが興味を持ってくれて、誰かが誘ってくれればいいなんて思ってる。誰も自分に興味ないよ。行動しなよ。

何が食べたいとかどこに行きたいとか、それ、本気で思ってる?

 

大学1年の夏が終わる。

 

私は何も変われなかった。

変わりたいのかすらもわからない。

でも漠然とこのままじゃいけない気がする。

 

自分は今本当は何がやりたいんだろう??

 

小さい頃はケーキ屋さんになりたかった。理由は甘いものが好きだから。

単純だけど、それくらい単純な思考回路がもうなくなってしまったみたい。

 

あの頃の自分は何がしたかったんだろう?

 

 

高校の頃の自分へ

大学生になりました。髪を染めました。

友達はそこそこできたけど、恋人はできません。

こんな大学生ですけど、どうですか?

今、必死になって勉強しているのはどうして?なんのため?

わかってたら、教えてください。

 

できる限り頑張ってみます。何かはわからないけど。

 

 

アイデンティティ/サカナクション

 

すききらい。

人をいきなり嫌いになることがある。

それは本当にいきなりで、前触れがなくて、「あ、無理だ。」と一瞬でその人との関係をやめたくなってしまう。きっと嫌いになられたほうは本当に迷惑だろうし、たぶん心当たりもない、ほんとうに迷惑。

今まで何回か人を大嫌いになったことがあるけど、男の子でも、女の子でも、共通項はそれまで本当に大好き「だった」ということ。

多分、私の大好きはほとんど尊敬で出来ているんだと思う。

尊敬で、憧れで、その人と一緒にいればなんだってできるような気がするし、その人になれるような気がする。

 

だから、たった一つのがっかりが許せない。

ドラマ「カルテット」で吉岡里帆さんが言ったセリフ「ひっくり返るでしょ!大好き、大好き、大好き、殺したい!って」あぁ、そうだなぁと思ってずっと覚えている。

 

多分、その人に嫌われるのが怖いのかもしれない。

「人から嫌われる前に嫌いになった僕でした」っていう歌詞の曲はなんだったっけ。

人から嫌われたりしたくない。

そりゃ全人類から好かれようなんて思ってないけれど、せめて私が好きな人には好きでいてほしい。でも結局自分が嫌いになったら相手も嫌いになるのは当たり前のことで。

 

でも、今まで嫌いになった人たちは、私のこと嫌いにならなかった。ずっと待っててくれてた。

すごいなぁ。私だったら嫌われたら2度と好きになれない。尊敬だ。

だから、大好きだし、だから大嫌いになる。どうどうめぐり。

 

その人は私の特別だから、私もその人の特別でありたいと思う。

そんなメンヘラみたいな女私は嫌いだな。

 

自分のこと嫌いだな。

 

♪WOODEN DOLL/米津玄師

 

セミが死ぬ

人身事故で電車が止まった。

 

案内板の文字が15分遅れ、30分遅れ、55分遅れになって最終的に「大幅な遅れ」と出るようになった。そこからはもう何分待ったかは正確にはわからない。

約束の時間はとっくに過ぎてしまっていた。

電車を待ちながら、「秒速5センチメートル」を思い出していた。大宮駅のホームは小雨と風で寒かった。

時間はゆっくりと悪意をもって流れていった。

 

事故の原因は自殺だった。踏切に飛び込んだらしい。ほぼ即死。

もう少し電車に乗るのが早かったら、自分の電車が事故を起こしていたかもしれないなぁ、よかったなぁと思った。

 

よかった?

 

ぞっとした。人が一人死んだのに。

おそらくここにいる誰もが自分の予定がどうとか、早く電車来てくれないかなとか、多分、自分のことしか考えてない。会社に連絡して、電話ごしに頭をさげるサラリーマンも、彼氏にラインを送る彼女も。一人の死が大勢の人に影響を与えたのは確かなのに、誰も彼、あるいは彼女のことを考えていない。なぜ死んだんだろうか。なぜ飛び込んだんだろうか。どうせ死ぬなら、いろんな人に迷惑かけたいくらいこの世界が嫌いだったのかな。それともやっぱり死ぬときも自分のことしか考えていないのかな。人間ってどんなときもやっぱりそうなのかな。

 

9月は学生が一番自殺する時期、というのは有名な話で。

最近ニュースで飛び込み自殺の話をよく聞くきがする。

理由は学校でいじめが再開するから、とか、宿題が終わってなかったからとか、様々。

学生にとって「夏休み」というものは1年で一番好きな時期で、だけどあまりに残酷だ。

学校に行かなくていいし、勉強しなくていいし、嫌いなひとに会わなくていいし、遊んでていいし、時間はたくさんあるし。

夏はみんなおかしくなる。みんな自分を甘やかす。アイスも思考もドロドロに溶けてしまいそうになる。死んだところで永遠の夏休みなんて手に入りやしないね。

夏の終わりは日常の始まり、だから、いのちの終わり。

セミの声が少なくなってきた。

 

♪せぷてんばぁ/クレイジーケンバンド

 

 

言葉に残しておきたい気持ちのこと。

今日、いや、正確に言うと昨日のこと。

6ヶ月ぶりに自分の母校の近くまで行ったら、今住んでいるところから1時間半ほどかからないでついてしまって、なんだかがっかりした。大学生になったのに、あまり遠くにいけなかったんだなぁと実感した。遠くへ行きたい、と思って決めた志望校は本当に手が届かないほど遠かった。みじめ。

 

1時間ほどして、始発駅から毎日通学に使っていた電車に乗り込んだ。笑っちゃうくらい古い電車。もとの色が赤なのかピンクなのかわからないシート、手動で開けるドア、夏は風が強すぎて、冬は足元が暑すぎる空調。強風とか、雨とかですぐ遅れるし。どれだけ古いのかは知らないけど、でも、それは本当にもうすぐ眠る電車だった。本来なら中吊り広告がある場所には「さよなら107系」の文字。車内にはカメラを首から下げた鉄道マニアの人たちがたくさんいて、なんで鉄道マニアって一目でそれってわかるんだろうなと思いつつ、電車に揺られた。来年の今頃にはピカピカの電車がここを走るのかと思ったらちょっとなんとも言えない気持ちになった。

 

変わらないこと、変わっていくこと。

隣の男子校のライブは、クオリティが下がった。演奏どうこうではないけど。今年からOBのプロのPAさんを呼ばなくなったらしい。全然明るくする気のない青や紫の照明をくるくるさせてミラーボールなんかつけちゃったりして、アホみたいにかっこよかったのに、今年はただ白の照明2本がステージを照らしているだけだった。それは確かに「手作り」「文化祭」って感じでなんだか好感は持てた。でも、「頑張ったんだなぁ」っていう感がたくさん出ていた。かわいそうに、去年の先輩たちのほうが絶対カッコよく見えただろうし、モテただろうに、というのは言うのはやめておいた。

 

変わりたかったこと、変わらないで欲しかったこと。

たまたま再会した、仲が良かった男子はもう自分の持つ魅力に気づいてしまって、カッコよくなってたけど、前の方が好きだった。なんだか自分に自信があるみたいで気持ちが悪かった。当然大学生にもなれば髪も染めるし、自分の見せ方もわかってくる。私だって「先輩雰囲気変わりましたね」と後輩に言われた。それがいい方になのか悪い方になのかわからないけど。

 

変わらなかったもの、セブンの前の異様に短い信号、川の鯉の多さ、得体のしれない空き家、9月の日差しの強さと風の涼しさ。そういうものを見つけてはいちいち懐かしいと感じている時点で自分はもう変わっちゃってるみたい。悲しい。

 

風景は変わるし、人は変わるし、気持ちは変わるし、考え方も変わるし、この世の中に変わらないものなんてないのかもしれないなぁと思ったら怖くなって、眠れなくなって、今に至る。だから、こうやってブログ?日記?に残しておこうと思いついた。これを誰かに見せようとか、別にそれは後で考えることにする。

 

私が今感じていること、明日の私が考えていることが、明後日の私の助けになりますように。どうか、いい方に変われますように。寝る。

 

♪誰にも見つけられない星になれたら/andymori