セミが死ぬ

人身事故で電車が止まった。

 

案内板の文字が15分遅れ、30分遅れ、55分遅れになって最終的に「大幅な遅れ」と出るようになった。そこからはもう何分待ったかは正確にはわからない。

約束の時間はとっくに過ぎてしまっていた。

電車を待ちながら、「秒速5センチメートル」を思い出していた。大宮駅のホームは小雨と風で寒かった。

時間はゆっくりと悪意をもって流れていった。

 

事故の原因は自殺だった。踏切に飛び込んだらしい。ほぼ即死。

もう少し電車に乗るのが早かったら、自分の電車が事故を起こしていたかもしれないなぁ、よかったなぁと思った。

 

よかった?

 

ぞっとした。人が一人死んだのに。

おそらくここにいる誰もが自分の予定がどうとか、早く電車来てくれないかなとか、多分、自分のことしか考えてない。会社に連絡して、電話ごしに頭をさげるサラリーマンも、彼氏にラインを送る彼女も。一人の死が大勢の人に影響を与えたのは確かなのに、誰も彼、あるいは彼女のことを考えていない。なぜ死んだんだろうか。なぜ飛び込んだんだろうか。どうせ死ぬなら、いろんな人に迷惑かけたいくらいこの世界が嫌いだったのかな。それともやっぱり死ぬときも自分のことしか考えていないのかな。人間ってどんなときもやっぱりそうなのかな。

 

9月は学生が一番自殺する時期、というのは有名な話で。

最近ニュースで飛び込み自殺の話をよく聞くきがする。

理由は学校でいじめが再開するから、とか、宿題が終わってなかったからとか、様々。

学生にとって「夏休み」というものは1年で一番好きな時期で、だけどあまりに残酷だ。

学校に行かなくていいし、勉強しなくていいし、嫌いなひとに会わなくていいし、遊んでていいし、時間はたくさんあるし。

夏はみんなおかしくなる。みんな自分を甘やかす。アイスも思考もドロドロに溶けてしまいそうになる。死んだところで永遠の夏休みなんて手に入りやしないね。

夏の終わりは日常の始まり、だから、いのちの終わり。

セミの声が少なくなってきた。

 

♪せぷてんばぁ/クレイジーケンバンド